【いつか魔女の丘で】序章:歴史の始まり
魔女の丘 創作 長編 みんな会議 魔女
- デロアギニア歴603年 春の月
陰るスラムに陽の風が吹く頃
メルセデス=ラッセル
- ……っと。
ハイジ=ルヴェルテュール(幼年期)
- 入り組んだスラム街は、生まれた時から住んでいる私にとって、いくら走ろうともぶつかることの無い、子供騙しのつまらない迷路のようなものだった。私はいつも、目が覚め、家の支度を済ませたら、こうやって一直線に街の中を泳いでいくのだ。
ハイジ=ルヴェルテュール(幼年期)
- ……しばらくすると目印が見えた。
小さな路地の端に敷かれている、安っぽい胡坐と、その上に腰かける、しわがれたババアだ。狭々と腰を降ろすババアの様子は、この寂れたスラムの中でも特に見にくいものであった。
ハイジ=ルヴェルテュール(幼年期)
- よお。また遊びに来たぜ、ババア
ハイジ=ルヴェルテュール(幼年期)
- ……なんだい、また来たのかい。こんな婆に、あんたもよく執着するもんだよ。これだから馬鹿餓鬼は
老婆
- いいだろ別に。ただ話を聞いてるだけなんだから
ハイジ=ルヴェルテュール(幼年期)
- それにアンタの話は実に愉快だからな。ばっかばかし、よくもまあ、そんな嘘が尽きないもんだ
ハイジ=ルヴェルテュール(幼年期)
- 誰がホラ吹きなもんか!生意気な若造めが!
老婆
- ババアはそう言って、近くに転がっていた石粒をシワまみれの手で掴み取り、礫を私へふりかけた。
なに、動揺することはない。これが私とババアの間に芽生えた、敵対心とも呼べるような奇妙な友情の新芽である事を、私達は互いに理解し合っていたのだ
アセビ
- 暫く黙っている。
ババアの方から根負けして、ハアァ、とため息。
アセビ
- ……まあ、仕方ない。アンタみたいな物好きがいる限り、私は伝えていかねばならないからね。我々の"運命"を
老婆
- だいぶ昔に聞いた奴だな。それも、この「魔女の烙印」がアタシ達を奴隷にしてるっていう、ごく簡潔にまとまった悲劇もどきだ
ハイジ=ルヴェルテュール(幼年期)
- ババアは「よく覚えてるじゃないか」と言って、喉の奥底に痰の詰まったような、汚い笑いを上げた。
不潔だとは思うが、不快ではない。
ハイジ=ルヴェルテュール(幼年期)
- お前のソレは、確か肩にあったね?
老婆
- そうだよ。全く、こんなんじゃ目立って仕方ない
ハイジ=ルヴェルテュール(幼年期)
- そう言って薄汚れた服を脱ぎ、肩を露出させる。私の柔肌には、忌々しい紅色の模様が煌々と生きていた。
老婆
- ……おやおや、こんなになっちまってるだなんて……お前に巣食う"モノ"は、随分と大きくなっちまったねぇ
老婆
- ああ。アンタら、ひいてはアタシら全員が口を揃えてそう言うよ。「お前の烙紋はまるまる肥えている。それは吉兆の印だ」ってな。
ハイジ=ルヴェルテュール(幼年期)
- ……我々にとって枷でしか無いそれに、なにか希望を見出したいのさ。不幸のタネが大きい人間は、いずれそれ見合うほどの幸福を得る……どうせ、いずれお前が将来皆を解放するとでも夢見てるんだろう。実に楽観的、自分本位な考えだ
老婆
- ……
ハイジ=ルヴェルテュール(幼年期)
- ババアの語る話は、なんとなく理解できた。そうだ。なぜ私が、この烙印の為に、そこまで崇められなければならないのだろうか。烙印が不幸なモノの象徴なのは理解している。だがそれを他者が、どうして重みを量れるというのだろうか。
ハイジ=ルヴェルテュール(幼年期)
- それは差別なのだ。対岸から呆然と眺めているだけの奴らは、ただ自分の理想通りに私という非自己を操作し、そうやって自分の愚かさに蓋をしたいだけの、その為に私を使う、そんな差別意識による行いであるのだ。
私の心中には、確かにそんな急進的な憤りが息を潜めていた。
ハイジ=ルヴェルテュール(幼年期)
- おい!魔女共!!
行商人(またの名を奴隷売り)
- 遠雷のような怒号が響いた。私達は瞬時にその由来に気がついた。
老婆
- !奴隷売りだ!
老婆
- 奴隷売り。この村に住む貧弱な魔女達を攫って、王国へと売り渡していく者達の名前。彼らによる保護こそ、この力ない愚かな種族「魔女」がどうにか今日まで生き続けている理由だ。奴隷なんてものは、およそみかじめ料みたいなものなのだ。
行商人(またの名を奴隷売り)
- ババア、安心して。どうせ狙いはアタシなんだ。なんてったって、村で一番若い魔女なんだからな
ハイジ=ルヴェルテュール(幼年期)
- そうはいっても。……!まさか、お前、そのために
老婆
- どうせアタシ以外が出てくと、ココに被害が及ぶだろう。そうなったらアンタの命も危ない。ま、アタシ1人いなくなるだけさ。せいぜい新しい話し相手でも探すことだな
ハイジ=ルヴェルテュール(幼年期)
- ……バカガキ。とっとと行っちまいな。アタシら魔女に、英雄面なんか似合わねぇって事を胸に刻んでおくんだね。
老婆
- ババアはシワまみれの顔を文字通り破顔して見送ってくれた。あの汚らしい笑い声も添えて。
老婆
- はいよ。……地獄でまた会おうぜ、クソババア
ハイジ=ルヴェルテュール(幼年期)
- 私はそう言って、あの奴隷売りの元へと足を進めた。奴に自分を売り物にするよう言うと、彼は欲にまみれた、不潔であり不快な、ババアとは何もかも違う笑顔で自分を馬車の積荷の上に置いた。
ハイジ=ルヴェルテュール(幼年期)
- 数刻の後、馬車が揺れるのがわかった。出発したのだ。顔を出して故郷を見送りたくもあったが、そもそもあの町の思い出はあのババアしかないのだ。今更見送ろうと見送らなかろうと、大差はあるまい
ハイジ=ルヴェルテュール(幼年期)
- ……アタシは、どこに売られるんだ
ハイジ=ルヴェルテュール(幼年期)
- グラッドバニア家だ。この地域一体を支配している貿易商、いわゆる豪商って奴だな
行商人(またの名を奴隷売り)
- ……グラッドバニア、ねぇ
ハイジ=ルヴェルテュール(幼年期)
- 今までに魔女奴隷を入荷してくることなんて無かったんだが……どういう風の吹き回しなんだろうな
行商人(またの名を奴隷売り)
- ……
ハイジ=ルヴェルテュール(幼年期)
- 進む馬車は揺れている。スラムは遠ざかり、故郷を守るための新天地は近づいていく。
私はそれに気を取られ、明日の我が身の心配だとか、未来への不安なんかが一切欠如してしまっていた。
端的に言えば、その時の私はいやに楽観的だったのだ。まるでただ散るだけの欅の葉のように。
ハイジ=ルヴェルテュール(幼年期)