Loading...

ひとり劇場

自由とはなんだろう?

雪柳
自由とはなんだろう?
墨田
私のイメージは、「何ものにも縛られない状態」です。
雪柳
例えば、具体的に言うとどんな例があるのかな?
墨田
子どもが親に塾に行かせられて、友達と遊びに行けない状態は、自由ではないですよね。つまり、親によって縛られている、と言えます。この場合において、自由とは、親からの制限がなく、子どもが自分の意思で物事を決めることができる≒友達と遊びに行ける状態を指すことができるのではないでしょうか。
雪柳
なるほど。君の「自由とは何ものにも縛られない状態」という主張に、私は納得した。しかし、なぜかまだこの議題について、深く掘り下げることができるのではないか、と心のうちで思っている。なぜ、君の主張に納得しているのに、疑念を抱いているのか、私にもよく分からないが、もう少しこの議題で話すことに、付き合ってはもらえないだろうか?
墨田
もちろんです。私も納得はできても、自由とは何か、について確信はしていないので、より明快な答えを導くために、あなたとお話ししたい。
雪柳
ありがとう。ところで、自由という概念が人間の間で用いられるようになったのは、いつからだろうか。そして、なぜだろうか。例えば、人類に闘争本能がなく、平和的な生物であった場合、戦争は起きず、そして「戦争」という概念も存在しなかったかもしれない。また、同時に「平和」という概念も、生まれていないだろう。そう考えた時に、「自由」という概念もまた、存在せざるを得なかった理由があるはずだ。
墨田
確かに。そうかもしれませんね。あなたが例に、戦争の対義語である平和を出したように、自由の対義語である言葉を考えるのも、ヒントになるかもしれませんね。例えば、制限とか、縛りとか。
雪柳
うむ。確かにそうかもしれない。制限や、縛りというものを現実の事象に当てはめるとすると、奴隷や労働、ルール(法律)などを私は思い浮かべた。
墨田
法律という言葉が出てきましたね。面白いです。というのは、本来法律は秩序を守るためにあるはずだ。そして、なぜ秩序を守りたいのかといえば、人間が安全で安心して生活したいからだ。しかし、今の話の流れで言えば、法律は自由の対岸に位置するものであり、時に人の自由を奪いかねないことを意味している。人から自由を奪うことと、人間が安心して暮らすことは、相容れないのではないだろうか。
雪柳
そうだね。しかし、矛盾はしていないと思う。法律という縛りがない自由な状態は、「無法状態」を意味するだろう。無法状態というのはつまり、人間が欲望に従って、何でもできてしまうのだ。例えば、嫌いな相手を傷付けたり、誰かが大切にしているものを盗んだり、壊したり、時には誰かの命が奪われてしまうことだって、可能性としてはあるだろう。自由という言葉の意味には、そうした危険性が潜んでいるとわたしは思う。そうした危険なことを防ぐために、ルール(法律)というものが誕生したのではないか。もちろん、過度な規制は許されるべきではないし、それが人を不幸にすることもあるかもしれないが、あくまで人の欲望を制止する役目である限り、法律は人間が安心して暮らすために必要なものだと思う。
墨田
なるほど。そうですね。あなたの発言を聞いて、また一つ新たなひらめきがありました。自由の対義語として、私たちが位置付けている「縛り、制限」を現実に当てはめた場合の言葉である「法律」には、欲望を制止する働きがある。つまり、法律には理性を強いたり、呼び覚ましたりする役割があるのだと思いました。したがって、人間が理性を持ち始めた時に、自由を含めたそれらの概念が生まれたのではないでしょうか。
雪柳
うむ。そうかもしれないね!
黒澤
口を挟んで申し訳ないのですが、無法状態の時に、人間が欲望に従って生きる、とは限らないのではないでしょうか。人間には、理性があるのだから。
雪柳
人間は確かに理性を持ち、他の欲望のままに生きる動物たちと比べれば賢い生物だが、だからと言って野生的な性質を完全に捨てられたわけではない。そもそも、生物が生きていく上で、それが理性的であるかに限らず、必須な活動がある。それは、生命活動だ。どんな小さな細胞でも、その活動を行なっているし、それが生態系を構築し、引いては循環を促している。そして、他の生物の列に漏れず、私たち人間にも生きていく上で必須な活動(食事、睡眠、生殖など)があり、それを私たちは本能と呼んでいるのだと思う。長くなってしまったが、結局のところ、ルール(法律など)という理性を強いる≒呼び覚ます制限がなければ、人間の中に潜む野生的な性質が活発になり、結局、欲望に従って生きる人間が後を絶たなくなるだろうと私は思う。秩序が崩壊したスラム街で、暴力が横行しているように。
黒澤
なるほど。
畠山
それで言うと、法律の目的が人間の理性の発露を促すためであるとすれば、今ある法律はその役割を全うできていないと思う。例えば、盗みはダメだよと言ったって、泥棒は出てくる。「刑が軽いからだ」と言って、例えば形を重くして、死をもって償わせるとしても、確かに泥棒の数は減るかもしれないが、完全になくなることはないと思う。実際、死罪に問われる可能性が高い殺人だって、なくなっていないじゃないか。罪を課したり、重くするだけでは、問題の解決にはならないと思う。
雪柳
私も同感だ。法律が外から人を律する(理性を呼び覚ます)役割を持っているとすれば、内から人を律する役割を持つものがあっても良いのではないだろうか、と思うが、どうかな? それこそが、問題の根本的な解決方法だと私は思う。
墨田
そうですね。また、外からではなく、内から自分を律しているのであれば、それこそ本当の自由な状態と言えるのかもしれません。

1  

投稿日時:2023-03-27 23:40
投稿者:3ta2
閲覧数:49

> 3ta2さんの作品一覧をみる

↑このページの先頭に戻る