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ひとり劇場

昔書いたやつ

長いです

快晴。イースターの時期のこれからはしばらく春の陽気がつづくらしいが今日の夜だけはしとしととお湿りの雨が降るのだと今朝、発つまえの黒の教団一階ホールにあった朝刊で確認したばかりだった。日付け変更線をまたぐころになると外を徘徊するクセをもっていたマダラオは、それを見て嘆いていたものの明日も明後日もあるし、まあいいだろう多めにみてやる などというので、庇護対象の女の子の着替えを手伝ったあとで、ブーツの足首にナイフを隠しながら私はさっそくアタマが痛くなってしまった。
マダラオ
しかし、ひと月遅れの流行性なんとか様様だな。今年はパンデミック型が心配されているから感染を未然に防ぐために隔離か。隔離なんて、まるでこちらが病気扱いじゃないか
マダラオのひとり言にアイロンをかける手をとめた。床はワックスでピカピカのフローリング、家具は老舗北欧名作のモノがほとんど。うっすら香る木の匂い。そのなかで荷物ほどきに飽きてしまった鴉が一羽、ソファにぐでんと寝そべっているので 起きろ内申書にバツをつけるぞ というとマダラオは渋渋という感じで起きあがってはおおきなあくびをする。
マダラオ
はいはい、申しわけありませんでした。ハワード・リンク監査官さま
監査官
はいは、一回でよろしい
カッターシャツの襟にアイロンの角をグッと押しあてるときなんて、それはもう気合いがはいる。これは上手くかけられたから明日着ていくことにしよう。明日は会計監査院のほうでここを出かけなくてはならなかった。中央庁の隠密 鴉として院政を敷くこととヴァチカンのエンブレムがついたジャケットを着て純銀の塊りから彫刻したボールペンを動かすといった普通なら両立できないようなふたつの仕事をする生活にはだいぶ慣れてきた。多忙でいらっしゃるルベリエ長官からは直筆の手紙で激励していただいたし、こんな貴重なものは色褪せの処理をして個人倉庫のほうへ移しておかねばなりませんね。
監査官
流行性感冒症。感染して脳炎にでもなったときには厄介だぞ。しかし、それは本部を離れれば回避することができる。身を滅ぼす未来の可能性があるものは拒否をする……こちらの基本ルールだろう
マダラオ
「なんて運がいいんだ。ここには私たち三人しかいないから、あの子の影に潜んで動かなくてもいいし堂堂と冷蔵庫の中も詮索できるというわけだな。提案が、あるんだが泣き疲れて寝てる主を起こして、薄明を待つより速く散歩にいこう
黒の教団本部では一ヶ月遅れの流行性感冒症が台風のような猛威をふるっていて、死者もでているというのに、マダラオのやつどこが運がいいといえるのか。マスクもロクにつけないでリナリー・リーと神田ユウのお見舞いにいっていた私たちの主も、それに気がついた科学班のリーバー・ウェンハムとジョニー・ギルによって泡を喰ったように三種の混合ワクチンを打たれたのだが、それでも感染していないかどうかはわからない。潜伏期間というものがあったからだ。その日以来、私は一時間に一度ルベリエ家 十三代目の体温をはかることを毎日の日課に追加した(今日も異常はなし)
不謹慎を楽しむマダラオの顔にむかってオレンジを力いっぱい投げてみる。読めもしない楽譜をパラパラとめくりながら軌道も見ようともしなかったクセに、手のひらは稲妻みたいにキラめいてオレンジを受けとめた。服でゴシゴシこすると皮もむかないで齧る
マダラオ
甘い。とっても甘い。苦そうに見えて甘いところなんて、おまえとそっくりだな。優等生のハワード・リンク
あの子を起こしてくるといって、アイロンのスイッチを切った。落ち着きのないマダラオはモグモグとオレンジをかじる。総譜に興味をなくし今度は革製の楽器ケースの留め具をはずすと複雑そうな何ていったらいいのか捉えどころのない表情をして中身をなでたかと思えば、あきらめたようにソファに倒れこんでしまったので、拳を丸めると鴉の片割れの無防備なこめかみの辺りをなぐった。これは音がしないだけでものすごく痛い。背中のほうから熱い風が流れてきたかと思ったが気にもとめずに二階、三階へとつづく吹き抜けのらせん階段をのぼっていった。
遅すぎた流行性感冒症(インフルエンザ)。 ・感染していない数すくない団員は強制的に本部から遠ざけられる。 ・一時的な黒の教団本部閉鎖 以上のことから中止になったイースターとイースターエッグとイースターの晩の夕飯を私たちの主はとても楽しみにしていたので、それはそれは目も当てられないほど荒れたのだが、お風呂にオモチャの類を持ちこむのいつも一つだけのところを三つまでに許可したところ、かろうじて羽布団から顔をだしてくれた
監査官
熱が出たのかと心配してしまいました。マダラオが散歩にいきたいといっています。買い足したいモノもあるので外にでませんか? 冷えますので外套を忘れないように
リコ
うん。あのね……ハワード。ごめんなさい
おなじことがマダラオにもいえますか といった。こくりとうなずいたのを確認してハンガーからオーバーコートをはずす。
監査官
夜はロールキャベツにしましょう。もどってきたら、お手伝いをお願いします
くるみボタンをとめながら、どこかおかしいところは無いかと鏡のまえでクルクルまわる女の子をしばらく見ていた。くせ毛を手ぐしでとかしてやる。お嬢さんは片手にカバンをもって、ハワード・リンクの腕にぶらさがった。
リコ
明日は監査官のお仕事にいっちゃうの? なるべく速く帰ってきてね
監査官
もちろんです。こんなことになるんだったら、休暇を申請するべきでした
べつにいいのだ。どうせオレンジよりも甘い
ルベリエ家のヴィラは黒の教団本部から汽車を三回乗り換えた国内有数の高級別荘地にある。戦車が四台は並びそうな広い石畳の車道の両側にレンガの歩道があり、ガードレール代わりに真鍮の柱が鎖をとおして結ばれていた。途中、ロールキャベツにつかうキャベツを一玉買ってみたり、買ったはいいが数日でこれを消費できるのか悩んでみたり、屋台のマロングラッセを味見したり噴水のある公園を一周してみたりする。
薄明の街、ところどころ素焼きのタイルをはめこんだ風景を流す。この時から何年も経っておもい返してみたのだが鴉のマダラオと監査官のハワード・リンク。ルベリエ家 十三代目の三人が人目のあるところで、そろって地面に足をつけて歩いたのはこれがはじめてで最後であった。
オクタヴィア記念通りに面した香油屋 ココの看板猫に夢中なお嬢さんから離れて、マダラオとふたり、薄緑色のガス灯のしたにいたのだが鴉は安心したようにいう。
マダラオ
やっぱり黒の教団なんてどうでもいいし、流行り病で全滅しようが壊滅しようが殲滅しようが私にはなんの関係もない。私が信じているのは黒の教団でもローズクロスでもない
マダラオ
だから、クロス・マリアンにも失敗したらおまえを殺して私も死ぬといったんだ。リンクにルベリエがいて中央庁があるように、私にはあの子がいてあの子しかいない。
マダラオ
考えてもみろ? ルベリエの命令をきいて背後から討たれて死ぬのと、女の子のお願いをきいて子猫を助けようと高いところから落ちて死ぬのとどちらがいいか。後者だろうよ
光りの輪から外れたマダラオは自己完結するように、うんうんとうなずいた。この鴉なら、とても頑丈なので黒の教団本部一階ホールにあるシャンデリアから落ちても死なずにピンピンしているだろうが、めんどくさいのでなにもいわなかった。ただ、不適切な発言は慎むよう簡単に説明してやった。
減点、反省文、尋問、謹慎、懲罰、除籍または解雇。マダラオは途中でバカ笑いをする。
マダラオ
「それでリンク、どうする。あの慈善団体が私を手放すワケがない。念願叶った監査官をやめなくてはならなくなるぞ?
マダラオの名前は中央庁の黒いリストにのっていたが、まあ……たしかにそうだろう。記憶がある。どこへでも音をたてずに侵入することが最初から出来たし、床に落ちるよりも速くモノを拾うことができた。躊躇したところなんて見たことがない。べつにこの道にすすむ気などゼロだっただろうが孤児として街を徘徊していたころに施しをうけたカトリック系教会でヘッドハンティングされた。どんな世界にも申し子というものがいる。マダラオは鴉のそれだった。
わらいすぎて痛む表情筋をマッサージしながら、ネコの気をひこうとしていたお嬢さんに おいでおいで と手招きする。とら猫のアタマを最後にぽんぽんやった彼女にマダラオはおなじことをした
マダラオ
ずいぶんと猫くさくなってしまったな。鼻がムズムズするし、帰ってお風呂だ、お風呂
リコ
「猫のにおいって、どんなにおいなの?
マダラオ
知らないのか。陽射しをたっぷりあびた麦みたいなにおいがする。春と夏と秋と冬で太陽はにおいが違うから、明日にでも嗅いでみるといい。マダラオは冬をすすめるぞ?
リコ
「あのね、ハワードがオモチャを三つまでなら持ちこんでもいいって
泣き腫らした目をこすっていたお嬢さんに目をやった。キャベツを抱えなおしていう。
監査官
そのまえに夕食の手伝いですよ。アヒル隊長で遊ぶのはその後にしてください。マダラオよ、おまえは風呂掃除だな
それで3人は、手をつないで帰った。ほんとうに明日は休暇を取っておけばよかった。そんな風に思ったのは後にも先にもこの時だけ。

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投稿日時:2016-10-03 00:05
投稿者:asaminn

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