僕が整体師になったワケ
1.はじまり
そのきっかけは、二十代半ばを過ぎた頃に突然訪れました。ある日のことなんともいえない息苦しさをふと感じた私。
寝不足? 風邪? はたまた飲みすぎか(笑)? などと、 あれこれ原因を考えてみるも、 特に思い当たるフシはなし。
しかしその奇妙な不快感は2日たっても3日たっても、 いっこうに消える気配がありません。
これは何かおかしいぞ、と思いつつも、 その息苦しさは少しずつ頻度を増してきて、ついには 「次はこの不快感にいつ見舞われるんだろう?」 という不安を感じ始めるようになりました。
とはいえ外見上は特にそれと分かるわけでもなく、 苦しんでいる最中に周囲にいちいち説明することもできないため、 次第に人に会うこと自体が億劫に・・・。
そうしてわずか一ヶ月ほどの間に、みるみる悪循環ができあがり、 はじめは単なる身体的な不快感だったものが、 それまで無縁だと思っていた 対人恐怖などと呼ばれるものに拡大しつつあることを、 冷静に自覚しはじめたのでした。
とりあえずあちこち病院を駆け回り、 あらゆる検査を受けてみるも、器質的な異常は特になし。
ならば心の病ではと、メンタルクリニックで診察を受けても、 ただフンフンと話を聞いて抗不安薬を処方してくれるのみで、 試しに薬を服用してみても、頭が少しボーッとするだけ。 不快感は全然消えません。
さらにカウンセリングも受けてみましたが、 心理テストの結果も特に問題はありませんでした。 担当して下さったカウンセラーさんも忙しかったのでしょうか、 診断結果をみながら一言。
「アナタいったいどこが悪いっていうのよ」
と少々イラツキ気味に言い放たれたときには、 さすがに私も凹みましたね。。
そんなわけで、どうやらこれは簡単な問題ではなさそうだぞ、 といよいよコトの深刻さに焦り始めたのでした。
2.奔走の日々
原因不明の症状を解消するべく、 長い治療法探しの旅が始まりました。病院、整体、カイロ、心理療法、催眠療法、鍼灸、漢方、etc・・・
それまで肩こりにすら縁のなかった私が、 週末ごとに新たな治療法を探して、日本中を飛び回るハメに。 しかしどの先生も一応もっともらしい説明をして下さるものの、 かんばしい効果は認められず・・・。
さらに関係書物も読み漁り、 当時はまだ情報の少なかったインターネットでも 似たような症例がないものか探しまくりました。
その結果、どうやらいわゆる神経症の一種であり、 現在でいうところの「パニック障害」に該当するらしい、 ということまではおぼろげに分かってきたのですが、 その治療法といえばやはり投薬によるものが一般的。 当初から薬の効果を感じられなかった私にとっては、 今さら解決策になりそうもありません。
そうしてはじめの何ヶ月かは 「とにかくなんとかせねば!」と、 死に物狂いであちこち駆け回っていたのですが、 事態が好転しないまま一年が過ぎた頃には、 もはや万策尽きた気もして、いいかげん諦めムードに・・・。
職場で関わりのある方々には、どうにか事情を酌んでいただき、 おかげでなんとか仕事だけはほそぼそと続けていたのですが、 すでに友人・知人からの誘いも断るようになって久しく、 ただ会社とアパートの往復を淡々と続けるだけの毎日が続きました。 毎晩のように飲み歩いていたそれまでの生活が嘘のようです。
たまに音沙汰のなかった友人から電話がかかってきたりすると、 もうタイヘン。 ベルの音を聞くだけで、緊張のあまり心臓が飛び出しそうになり、 なんとか受話器を取り上げても、 声は震え息も詰まって、ロクに話ができないありさま・・・ 今振り返ってもまともな精神状態ではありませんでしたねぇ。
気楽に街を歩いて、誰かと一緒に飲んだり食べたり、 とりとめのないお喋りをしたり・・・ そんな当たり前のことが「幸せ」だったんだなぁ〜としみじみ。。
「絶望とは死にいたる病である」なんて言葉もありますが、 夏場に蚊に刺されたりすると、みるみる化膿してしまい、 あっという間に直径10センチぐらいにまで腫れ上がる始末・・・。
人間、生きる希望がもてなくなると、 免疫力まで低下するのは確かなようです。
自分もこのまま真綿で首を絞められるように、 ジワジワと死に向かいつつあるのかな・・・ そんな想いが脳裏をかすめるようになり、 生き地獄のような日々に耐えつつ、 わが身の不幸を恨んだものでした。
3.希望の光
ある日、整体を勉強していた友人が一冊の本 (「病の効用」瀬川毅著)それは整体の先生が書いた本にもかかわらず、 日本の古典についての考察や、神がかった少女の 奇怪なエピソードなどが紹介されている一風変わった内容。
さっそく一通り読んでみたのですが、 私が悩んでいる症状とは直接関係ありそうに思えません。 それでもなにか不思議と興味をひかれるものを感じて、 巻末に載っていた住所に手紙を送ってみたのです。
ほどなくして、著者の先生から長い手書きのお返事が届きました。
「あなたの病は、人生最初の大きな…小さくはない『つまづき』」
「今回のことは人生における一つの危機ということで、 それをくぐりぬける知慧を見出せばよい」
「一寸苦しいことだけれど、自分に固有の苦難を 自分の力できりぬける〜暗いトンネルへ一歩踏みこみ、 やがてその向こう側へ抜け出していく〜」
具体的にどういう解決策があるのかは分からないけれど、 とにかく一度この先生を訪ねてみたい! そう思いました。
久しぶりの東京。
初めてお目にかかる先生は、 とても穏やかな初老の紳士でしたが、 瞳の奥にはどこか厳しさも併せ持っておられる印象。
少々お話を聞いていただいて、いよいよ施術開始…とはいえ 一台のピアノと無数の本が積まれた四畳半の片隅に横たわるだけで、 部屋のなかには施術用のベッドも器具も一切見当たりません。
1時間ほどの施術だったでしょうか、全身を丁寧に診ていただくうち、 いつしか時間の感覚がなくなり、 張り詰めていた緊張がフーッと抜けていくのを感じました。
それまでに受けたことのある整体とは何かが違います。
「命に対する深い愛情」とでも表現したらいいのでしょうか、 そんな温もりを肌で感じ、安心して身を委ねきることができたのです。
ひととおりの施術が終わり、心地よい余韻に包まれながら 先生に質問してみました。
「あと何回くらい通ったらよくなるでしょうか?」
「そうですね、さしあたって2年間は、療養に専念できる環境をつくって下さい」
「ええええ〜っ、に、2年・・・!」(心の声)
もちろん、 このワケの分からない苦しみから抜け出すことができるのなら、 時間やお金に糸目はつけない、という気持ちはありました。
そうはいっても、この先生の言葉を本当に信じて実行するためには、 郷里での仕事も辞め上京する決意が必要です。 仮に引っ越してきたところで、今の状態では再就職など到底無理。 この先一体どうやって食べていけばいいのか?
しかし、このままズルズルと生き地獄のような生活を続けたところで、 何も変わらないこともまた事実。 ならばいっそ死んだ気になって、一か八かこの先生に賭けてみよう! 思い切ってそう腹を決めました。
それまでの私に欠けていた「信じること」「捨てること」の大切さを、 この初対面の先生から教えられたわけです。 ほかならぬ自分自身の人生を教材にして。
4.思いがけない提案
信頼できる整体の先生との邂逅を果たし、上京を決意した私。よぉーし、ゼロからの再出発だ!
希望の光がみえてくれば、自然と勇気もわいてくるものです。 まずは勤めていた郷里の会社を辞めることに・・・。
辞意を示すやいなや執拗な引止めにあう会社もあるようですが、 ウチの社長の場合は「去るものは追わず」主義で、 かなりアッサリしているとのウワサを耳にしており、 その点は私も少し気が楽でした。
自分 「社長、あのぅ〜折り入ってお話が…」
社長 「何だい?」
自分 「じ、実は退職させていただこうかと」
社長 「そっか…残念だねぇ」
とくに引き止める様子もなさそうで一安心(^^;)
社長 「仕事があわなかったのかな?」
自分 「そういうわけではないのですが…あの、上京しようかと思いまして」
社長 「東京で就職?」
自分 「いえ、実はしばらく療養に…」
せっかくなので上京の理由を簡単に話しました。
すると、社長から思いがけない言葉が…。
社長 「よかったら一つ提案があるんだけど」
自分 「はい…」
社長 「東京に営業所をつくろうかと思うんだ」
自分 「???」
社長 「もちろん療養メインで生活してもらえばいい、仕事は無理のない範囲で続けてもらえれば」
自分 「あ、ありがとうございますっ!(涙)」
さっそく横浜に安いアパートを探し、 パソコン2台と会社用の電話&ファックスも設置して、 4畳半の部屋はさながらコックピットのような様相に(笑)
こうして不思議な東京生活が幕をあけたのでした。
5.療養の日々
引越しも無事に終わり、 新天地・東京で適度に仕事をこなしつつ、 整体の先生のもとに通う生活が始まりました。1時間以上みっちりと施術をして下さるだけでも ありがたいことなのですが、 それ以上の時間をゆったりとした歓談にあてて下さる先生。
クラシック音楽や文学の話など私の知らなかった新しい世界が、 訪問のたびに次々と開けていくようで、 幅広い知識と深い見識をお持ちの先生と交わす潤い豊かな会話が 毎回とても楽しみになりました。
もちろん身体のほうに問題があるのは確かで、 それさえ解消すれば症状も自然と消えるだろう、と当時の私は 単純に考えていたのですが、今振り返ってみると、 どうやら先生が取り組んでおられたのは、 もっとずっと大きなテーマだったように思います。
身体だけではなく、モノゴトの感じ方、捉え方、行動の仕方、 生活習慣、ひいては人間関係にいたるまで、 私を取り巻く全てを包括的に立て直していく…というたいへんな作業。 その大仕事を2年間という期限の中で、 それなりの覚悟を持って引き受けて下さったのではないだろうか… そんな気がするのです。
ところで先生は東京のご実家と茨城のお住まいを 週の半分ずつ行き来するという、 ちょっと変わった生活をされていました。
なんどか茨城のご自宅にもお邪魔したことがありますが、 東京とはまた違った自然豊かな環境は、 庭を眺めているだけで心が落ち着いて、 体中の細胞が生命力を取り戻していくことが実感できました。
整体で悩める人たちの元気を取り戻す手助けをしながら、 庭の小さな畑を耕し、小鳥や昆虫たちとたわむれ、 ヴァイオリンを奏で、読書をし、思索を巡らせ、ペンを走らせる… 決して贅沢ではないけれど、内面的にはこのうえなく自由な生活…。
そんな先生のユニークなライフスタイルを間近で拝見するようになって 「こんな生き方もあるのか!」と 目から鱗が落ちた思いがしたものでした。
6.つまづいて手にしたモノ
整体に通うようになって、半年一年と経つうち、 あれほど苦しんでいた不快感も少しずつ薄れ、 ほとんど気にならないところまで快復していきました。同じような症状で苦しんでいる方の参考になればと、 自身の経験をHPで公開したりもしながら、 そろそろ約束の2年が過ぎようとしていました。
もちろん東京に残るという選択肢もないではなかったのですが、 お世話になった社長の傍でしばらく働きたいと考え、 いったんは郷里に戻ることを決意しました。
ぼちぼち続けてきた東京での営業も、 いよいよ本格的に都心にオフィスを移して本格稼動することが決まり、 優秀な後任の方も迎えて一安心です。
この貴重な2年間の体験のおかげで、 モノの見方や価値観が本当に大きく変わりました。
ほとんど廃人のような状態で将来を諦めかけていた私が、 どん底から抜け出して、ふたたび普通の人生に戻ることができた。
その幸運に感謝して、これからの人生は妥協せずに、 精一杯自分らしく生きていきたい…そんな想いで一杯でした。
そういえば先生は「藁しべ長者」のお話をされたことがありました。
出世の願掛けをした男が、観音様からいただいたのは 「この寺を出て一番初めに手に触れたものを持っていけ」 というお告げ。
けれど寺を出るときに蹴っつまづいて転び、 そのとき手に触れたのは一本の藁だった…という、 あの有名な昔話です。
人生の「つまづき」で思いがけず手にしていたものこそが、 その人にとって本当に必要なものなのかもしれませんね。
そんな先生も2006年の春をもって引退されたそうです。
いささか寂しい気もしますが、 一人でも多くの方のお役に立てるよう、よりいっそう自分も頑張らなければ、と決意を新たにしている次第です。
長くなりましたが、最後まで拙文にお付き合いくださり、心より感謝いたします(完)
※このテキストは毎日派遣ナビの「派遣スタッフのリアルお仕事ブログ」に連載された文章に、若干の修正を加えたものです。
