4月1日、晴れ。朝は風がなかったが、やはり午後になると風が強まってきた。
前日は猛烈な風が吹き、雨も降ったが、今日は朝から晴れたので庭に出る。
隣りの梅は、ほぼ5分咲きといったところだろうか。
我が家の杏の花も、ようやく一輪ほころび始めた。
一挙に緑が嵩を増し、春が津波の勢いで迫りつつある感じである。ヒヤシンスが咲きはじめた。スイセンもまた然り。菜の花がようやく咲きはじめた。まるで待ち遠しい北国の遅い春のように今年は一気に春がやってくる気配である。
先週中に掘っておいた溝に、残っていた男爵を放り込むことから仕事が始まる。それを終えて、こんどはメークイン用の溝を掘る。ハコベの群落を引きはがしたりして溝を作るけれど、ハコベの根が大量の土を抱えていて、ここにも春の力強い勢いが感じられる。
真理が私を大声で呼ぶのである。駆けつけてみるとヘビのお出まし……。
小さな枝など積んである一画がある。それを片づけ整理するつもりでガサッとひと重ねの枝を真理がどけたのである。すると、そこからとぐろを巻いて休眠中のヘビが出てきたというわけだ。
安心してゆっくり寛いでいたわけだろう。とぐろの向きが逆さで、ひっくり返っているではないか。腹が上を向いている。布団の中で仰向けに寝てる我々同様、リラックス状態というのは、やはり腹が上ということだろうか。攻撃態勢のとぐろは、むろん腹が下側である。ご存知の通り……。
ところが、こうして安心して寝ていたら、いきなり布団を引っぺがされた。こりゃ堪らん、といったところだろうが、奴は思いの外、一向に動き出す気配がない。案外まだ気温が低いからか、などとも思うが、そうではないだろう。もう少し布団の中で寝ていたいという横着に相違ない。……その間合いを計って、カメラを取りに、私は走る。
結果がこの数葉の写真である。確かに腹側が剥きだしになっているのがお分かりいただけるだろう。とぐろの中心には頭も見える。


休眠中のヘビ
この間、7、8分くらいだったのではあるまいか。やがて、とぐろがゆっくり回り出した。ズルズル解けるように動いて、ヘビは地中を目指しているようである。せっかく良い気持で寝てたんだぜ。いきなり布団引っぱがすなんてアリかよ? そう思ったかどうか、彼はもう一度、さらに居心地よい場所を求めて、地中に姿を隠したのであった。その間、わずか2、3分くらいの経過であったろうか。これはなかなかの見物であったわけでありました。
その直後に、もう一つ事件がおこった。
ばたばたと大きな羽ばたき。振返ると網にハトが掛かっている。脚を絡まれてしまったようだ。網というのは農業用キウリネットのことである。鳥がかかることなど滅多にないが稀にはおこる。以前にムクドリがかかって絶命していたことがあった。
早く救出してやらねばと思う。ハトが羽ばたくとネットが大きく揺れる。拗れてしまうと面倒なことになる。駆けつけて、まずはハトの身体を抱きすくめる。そしてネットから放つ。ハトは後ろも見ずに隣家の樫の木の方へ飛んでいった。まあ、こんなとき、名残り惜しそうに離れていくことなどあるはずないわけだが……。
あとにはハトを抱いたときの体温が手に残っているのである。ハトの身体に触れたのは何十年ぶりだろう。その体温は思いがけないほど高く、それは妙に心に染みいるものなのであった。
前日の風の被害、そのひとつを記しておく。
我が家では庇の下、雨が降り込まないところにトロ箱を置き土をいれてある。もう十年以上も前からやっていることだが、こうしておくとウスバカゲロウが季節になればやってきて卵を産んでいく。縁の下という申し分ない環境が近ごろ奪われて住宅難になっている彼等にとって恰好の産卵場となっているわけである。
そのトロ箱が風で吹き飛ばされていた。普通では考えられないことだし、こんなことはこれまで一度もない。どういう加減か、箱の中の土が巻き上げられ、軽量化した箱が一気に持って行かれたのだろう。それにしても、どんなふうに吹いたのか? これもチョット想定外なんて、いえばいえないこともあるまい。私はアリヂゴクのために、また土を盛る。定位置にトロ箱を戻してやらねばならない。
『火花(北條民雄の生涯)』高山文彦著(角川文庫)を読み始める。ほぼ9年の間、積ん読になっていたものを先頃取り出しておいたのである。
4月2日、晴れ。朝はやはり霜がうっすらと覆っていて冷たいのだ。春はそこまで来ている感じだが、それにしても一日の寒暖差が実に大きすぎるのである。
穏やかに晴れて風もない。朝、庭に出る。
玄関脇のアンズの木を見上げる。ようやく2、3輪の花が綻び始めている。そこにキジバトがやってきた。ハトが向こうの方から近づいてくる。こんなことは、ついぞなかったことである。キジバトはヒトの姿を見ればサッと飛び立ち距離を空ける。都会のハトどもが一向に頓着せず、ヒトの足元で餌を拾うなど、野生として生きるキジバトの習性からは想像できないことなのである。
相手との距離を正しく守る。これが野生の大切な約束ごとである。それぞれの種が独自の取り決めを遵守していることは、自然を注意深く観察していれば、すぐに分かってくることである。
ところがハトは向こうの方から、私に近づいてきたわけだ。アンズの枝に止まった位置から、見上げる私との距離はせいぜい3メートルである。ハトは、私を見つめるわけではない。そんなことは野生界では完全なルール違反である。むしろ落ち着かない様子で脚元を踏み換えながら、私からの視線を外すように(私の方だって、まっすぐ見ることはしない。さらぬ体にて横目で盗み見る)明後日の方へ向きを変える。
ハトは何を思って、やってきたのだろう。昨日は助けてもらってありがとう。そう考えたいのはやまやまなれど、これは擬人化。ハトの考え、精神といったものを、我々が簡単に想定することなどできるわけもない。昨日の思いがけない遭遇がもたらした衝撃(ヒトに瞬時ではあれ、触れられ、抱きすくめられたという)が、通常あり得ない行動へ誘ったというくらいがせいぜい、といったところ。一応そういうことにしておかなければ……。
この日、ハトは私に三度接近を試みたのである。
最初は既に記したとおり。二度目はタマネギに堆肥をばらまいているところ、すぐそばの栗の木にやってきた。目を合わせることはしないけれど、距離はやはり3、4メートルといったところである。
三度目は聊か申し上げにくいことだが、庭の隅で立ち小便を試みているところにやってきた。屋外での立ち小便はなかなか気持がよい。ところがハトがやってきて何やら憚られるものを感じたのであった。見つめられていたわけではない。しかし何とも言えぬ居心地悪さを感じた。
ハトが何を思って、そんな振舞いに出たか、それは分からないのである。ハトが自分の行動を反省意識に沿って分析、あるいは説明・解説するわけなどないから、私がそこまで立ち入り、こんなことをくだくだしく述べることは、そもそも余計なお世話といえなくもない。とはいえ、この日こんなふうに、私たちはお互いを意識しあっていたということだけはいえそうなのである。人間の生活と自然界の狭間に思いがけずひらける通路。ときに垣間見える興味深い景色がそこにあったということではないのだろうか。
メークインの植え付け、今年は7個だけ。溝に放り込んでジャガイモの作業が一段落。今年は寒い日が続いて、結果、植え付けが遅くなった。
4月3日、曇り。今朝は昨日とは違って暖かい。
窓を開けると、ハトがプラムの木にやってきた。昨日のハトだろうか。ところが私には一羽一羽のハトの見分けがつかない。行動の特徴から判断するほかないのである。よくよく注意深く観察すれば一羽一羽に違いがあるのだろうが……。
先頃いただいたキンカンの種を庭の一画に蒔いておく。もしかすると……というわけ。
小さな器(半密閉型容器)にインゲンとキウリの種を蒔く。これは部屋の中で発芽させようという魂胆である。まだ、外は寒いから路地蒔きには無理がある。少しでも早く収穫するための試み。
Eさんの話。
31日の強風で塀の縁には信じられないほどの大量の土が吹き寄せられたのだという。
それを彼女は一人で片づけていた。Eさんは腰が海老のように曲がっている。とても不自由な身体なのである。その通りを忙しそうに通り過ぎていく人たちがいる。車が減速もせず、一気に走り抜けていったりもする。
そういうなかに近所の人で出勤途中、立ち寄って親切に手伝ってくれた人がいたそうである。その人が立ち去ったあと、しばらくするとその奥さんがやってきて手伝ってくれたそうだ。そのうち、そのお子さんたちもやってきて手伝ってくれる。まったく思いがけぬ援軍があらわれて助けられたのだそうだ。
男性は通勤の合間に思いついて妻に電話ででも知らせたのだろうか。困り果てている人へのこのような温かい心遣いはEさんの身に染みた。
親切あるいは愛、そういったものを家族ぐるみで広めていく行動。それも極く自然な形で……。危機に遭遇し、人間が本来持っていた善きものに、多くの人が気づき始めたのであろうか。誰もが潜在させている力に気づき始めたということか。志ん生さん流にいえば、親切の国から親切を広めにやってきた人が最近ふえているということだな。
朝9時半すぎから強風が吹き始めた。31日の強風。そして今日。予報では先日以上の猛烈な風が吹くという。夕方6時から9時がピークであるという。
時々刻々、気象が動いていく様子を観察し、短期の予測であるなら、ほぼ正確に画面に示すことができるようになった。だが最近の気象の特異な面、その意味を評価し、今後の判断の指針にしていくことに、それがどれほど役立つのかというと、これは全く別のことではあるまいか。ここ数年の気象がこれまでになく荒々しい顔貌になってきているのは、背後に温暖化の問題があるからというのは、すでに大方の実感であろうと思う。
これを分かりやすい比喩で表現すれば、人類社会が垂れ流し的に乱用し続けたエネルギーが地表や海水に吸収され、過剰に蓄積され、飽和状態になって、いわばその慢性状態に耐えきれなくなって、慢性が一転ついには急性症状に形を変えてきたと理解すれば分かりやすいのではないだろうか。地球に無理な負荷を掛け続けた現代文明は、すでに原理的に破綻している。今日の事態はそういうことを語っていると私は考えるが、にもかかわらず方向転換を必要と考えないほど人類が賢いとなると……、これは一体どういうことになるか、そんなことを抱えながら生きることは、実に何ともココロ楽しくないことといえよう。今日的危機の本質は実にここにある。文明が取り返しのつかぬ誤った生き方を人々に奨励してきている。この一点に問題は実は集約されつつあるのではないのだろうか。これからは気象の面でも、これまでにない、いわば異次元の厳しい試練に、我々は長い間、耐えていかねばならないことになるかもしれない。因果応報とはこのことだ。私は敢えて、今日このことをここに記しておこう。
4月4日、晴れ。午前中、名残りの強風が吹き続く。
昨夜の風雨は、実にあっぱれなものであった。春一番、春の嵐などとは別次元の新型である。これまで経験したことのないものだ。予報通り、夜の9時頃まで、荒れに荒れた。突風・烈風、なんと名付けてもいいが、これは春の嵐などという生やさしいものではない。烈しく吹いたところでは電柱がなぎ倒されたそうである。これからの秋の台風シーズンはどうなるだろうか。集中豪雨、土砂崩れの被害が昨年も頻々と伝えられたばかりである。因果なことである。私たちはいよいよこれから好ましいとは到底言えぬような結果を引き受けなければならなくなった。
朝、車に乗って出かける用事ができた。
エンジンを吹かしていたら、向こうの方から、コジュケイが2羽やってくる。外は昨夜の名残り、いまも猛烈な風が吹いている。私は車の中から彼等を眺めているのである。
庭は一面、野草の原。ハコベ、ホトケノザ、ナズナなどが敷き詰められていて、その丈はいまでは15センチを越えただろうか。その草の群れが見事いっせいに靡いて、風の凄まじさを表している。
2羽は風に向かって進んでくるのである。風に煽られそうになりながら、それぞれがコースを辿っていく。そんな中でも目と口は忙しく働いている。この強風の中で彼等はいつもの食事に勤しんでいるというわけだ。煽られながらヒョイと嘴が差し出される。転びそうになりながら、またヒョイ、またヒョイと。
一羽は車のすぐ脇、私の眼下を通っていく。風の凄まじさで彼等はエンジン音にも気づかぬようだ。頓着なし。そして、別の一羽は向こうへ離れていく。それがやがてまた交わるように交差し、また離れて、転げるように遠離っていく。結果、即かず離れず、2羽は仲良しの番いであるわけだろう。私の視野の中を二筋の流れとなって通り過ぎていったのであった。
その後、街中でも風の驚異を目の当たりにする機会があった。すでにピークはとっくに過ぎて、この凄まじさなのである。
ネコが家並みにそって身体を沈めながら歩いているのを見かけた。そのネコが角を曲がる。そこから数歩、歩んだところで風に飛ばされた。思わずよろめいて車道の方へ持って行かれる。車が停車して事なきを得た。車も始めから徐行している。それだけ猛烈な風がいまも吹いている。